さて、製品化学物質管理における経験や事例シリーズの第12回目です。
このシリーズは、2002年1月(もしくは、2001年11月or12月)から製品化学物質管理に関わってきた管理人が経験したことや事例を書いていくものです。
今回は、事故例からちょっと離れて、海外出張のお話です。
なんじゃそりゃ?という方も多いかもしれませんね。
管理人は2002年から本格的に製品化学物質管理に関わることになりました。
製品化学物質管理における経験や事例(その1)、製品化学物質管理における経験や事例(その2)、製品化学物質管理における経験や事例(その5)などに書いたように、今まで会社では経験が無いような、更には仕組みが無いような製品化学物質管理というものを、みんなで構築していかなければならない仕事の一部を担っていました。
英語は大嫌いだった
今までない管理の仕掛けですので、会社内全体そして部品や原材料を調達する先の方にも説明しなければなりません。そこには、日本も海外もありません。
管理人は、2002年当時は単なる担当に近かったので、最初はいきなり海外に行って会社の新しい仕組みを説明しに行くなどということは頭にありませんでした。
しかも管理人、中学の時から英語ができなくて、そのせいで英語が大嫌いでした。成績も教科の中で一番悪かったのです。ですので、その時まで可能ならなるべく避けて生きてきたのです。
でも、製品化学物質管理に関わったからには、否が応でも説明(しかも英語)しなければならなくなりました。
最初に行ったのはアメリカ大陸です。この時は、英語ができるメンバーとチームを組んでいましたので体力的には大変でしたが心理的負担は少なかったです。
RoHS指令対応前後は、あちこち海外出張に行かなければならなかった
管理人が一番海外出張に行っていた時期はRoHS指令の対応前後です。もちろん、年がら年中海外を飛び回っている商社やアパレルのような方とは頻度は異なります。
ですが、単なる技術屋さんで、しかも英語もろくに話せない人間が、最大年に10回くらいも海外出張に行くなんて尋常ではありません。最初の頃は本当に泣きそうでした。
しかも既にこの時、管理人は40代に入っていました。
英語はやっておいた方がいい、でももっと大事なことはわかってもらう、意思を通す
当然なのですが、最初から数回の海外出張で英語がよくわからない状態になると、自分でもこれではだめだと思うようになりました。
それからは、通勤時間に英語のリスニングをしたり、対話のある内容のビデオを見てみたりしました。今のようになんでもネットで見たり聞いたりできる状況ではなかったので(その点今は良いですね)、CDなんかも買った気がします。
でも、別に英語はうまくもなりませんでした。ただ、相手の言っていることはわかるようになってきました。製品化学物質管理の話であれば、専門用語は特殊なのでそこは簡単に聞き取れたり意味は分かります。その前後のしゃべりから何が言いたいのかはわかるようになってきたのです。
これらの過程で管理人は、英語はやっておくべきだったと後悔しました。今の若い人は、英語がわかる方が多いかもしれません。ですが、もしそうでない方がいたら、英語はやっておいた方がいいと管理人は思います。
英語が必要な仕事という選択肢も広がるほかに、海外の人と話ことによって考え方の違いや日本そのものの良し悪しもわかるからです。
だた、仕事の観点からすると英語ができないから黙ってしまうというのだけは、絶対にやめたほうがいいです。相手は、何も言わないのなら了解したのだと思ってしまうからです。ただ、契約みたいな法やお金が関わることは専門の人に任せましょう(そうしない人はいないと思いますが)。
相手のプレゼン資料を見て意見が異なる場合や自分の意見を通したい場合は、Yes!No!のOne Wordでも良いから言って、筆談や図を使ってでもわかってもらったり意思を通したりするべきです。
このように考えるようになったのも海外出張に行ったからです。
化学物質管理に直接関係はありませんが経験したことです
今回のお話は、化学物質管理に直接関係はありませんが、この仕事に関わったことによって経験したことです。
もう1回くらい事故例を書くとは思いますが、その後はあまりこの「製品化学物質管理における経験や事例」の更新は行われないと思います。
あんまり詳細な個別の出来事も書けませんし、大枠の話は書いたつもりなので、これなら書いてもいいかなという内容を思いついたときになると思います。
皆さんが、こういう話を聞きたいというリクエストは、いつでも受付ているのでお寄せください。
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